ミッション

 「ミッション」という言葉には、力強い、”神に裏付けされた”という確信のような気配(?)を感じます。おそらく「動因」としては決定的なものだと思います。ただ、”現実の困難さ”の前に、人間的苦悩は多々にあるのではないのかなあ、と思います。(人間は弱いから・・・・)

 ヨナ記において、神・主からの直接の言葉を前にして、ヨナが苦悩する姿に、私は自分自身を見ます。江戸初期のキリシタン迫害の時期の資料には、「ミッション」と「現実の迫害」の狭間で、おそらく苦悩しているであろう宣教師達の姿や、棄教を迫られた当時のキリシタン達の姿が浮かんできます。
 Nov19,1999

itsumi
信仰を巡っての断片