リアリなきリアリティ

 「リアルなきリアリティ」という言い回しから、「イメージの訳語としての虚像」や「偶像」(アイドル)に基づく「リアリティ」の様なケースが思い浮かびます。そういうリアリティの方が、より現実感(リアリティ)があるような気がします。だからこそ虚像であり偶像である続けることが出来るのかもしれません。
 
 聖餐において、リアル(Passion、イエスの血肉)がないからこそリアリティ(passion)を追い求めるケースはどうなるのかなあと、ふと思いました。偶像・虚像とも違うような気がします。
  Mar13,1997

itsumi
聖餐を巡って