全自動洗濯機

 昨日、我が家に全自動洗濯機が搬入されました!!とうとう2槽式のものが漏水で駄目になったので大奮発したのですが、設置の時に電気屋さんの説明を聞いて、居ても立ってもいられなくなり、体の調子が悪いのはなんのその、電気屋さんが帰ったらすぐに、洗濯機が壊れて洗面台の周りに散乱していた洗濯物をかき集めて「全自動」を堪能しました。

 人間がやることは、ボタンを押すだけなんですね。学生時代、親元を離れて、下宿先の2槽式の洗濯機の前にずっと佇んでいたのが嘘のようです。洗濯物を見ながら、まだ汚れが落ちていない、すすぎをもう一回、脱水が足りない・・と考えることがないんですね。すべて、ファジーのコンピュータ制御、W滝洗い、ステンテスのピカピカの洗濯槽がやってくれるんです。「腕の見せ所」がない分、楽ですね。

 新興宗教が連想されました。布教・伝道の手法がプログラム化されており、ビデオやアニメを使って、手取り足取りわかりやすく教義を説明(教義自体も単純明快なんでしょうね)、相対者である人間が、絶対者の前で逡巡する姿なんて見かけないかも知れませんね。ひとりひとりの信仰者が神と対峙するなんてことはなく、プログラムで養成された信者が、プログラムに従って、同じ顔を神に向けるだけなのかもしれません。

 聖書を神のことばとし、聖餐において現実に主の体と血を喰らい、使徒信条をほんとうに自らの信仰と告白するからこそ、だからこそ盲信に陥らずに、キルケゴールを読み、バルトを学び、ブルトマンの求めたイエスを自らも求め、野呂先生や古屋先生の話に耳を傾けるんでしょうね。
 August28,1995

itsumi
アラカルト