教会・牧会

 わたし自身、牧される立場として、牧会について考えることがあります。もちろん教会は、牧師の『牧する』という側面だけではなく、教会員ひとりひとりが教会を『建て上げる』という側面もひじょうに大切であると考えています。

 教会の中心は、みことばの説き明かしであり、聖餐であり、賛美であり、つまり、主日に持たれる礼拝であると考えます。そして、「この世の中にある人の集まり」であるので役員会も重要だと思います。(語弊があったら申し訳ございませんが)「狭い意味での牧師の職務」は、このあたりが中心となると思います。

 ただ、ひじょうに個人的な見解かと思いますが、わたしは牧会というと、ひとりひとりの教会員の信仰的な悩み・つぶやきから始まり、生活全般にわたる悩み・愚痴を、牧師が聞き、共に祈り、適切なアドバイスを与える姿を想像するのです。

 これは、わたしの「牧会」という言葉に対する、きわめて主観的な(わたしの)印象です。もちろん、牧師はカウンセラーではないですし、よろず相談を承るのが職務でないのは百も承知です。

 しかし、広い意味での牧師の職務の中に、そのような、きわめて日常的なひとりひとりの教会員の思いを聞き、共に祈り、共に担う部分もあるように思うんです。

 主日礼拝の説教は、「教会」で説き明かされるわけですから、その教会のcontextを無視できないように思うんです。ひとりひとりの教会員の思い・悩み・祈りの課題を知ることはとても大切なことだと思うんです。

 みことばは普遍的なものです。しかし、その普遍的なみことばを、ひとりひとりの教会員が立て上げる教会という特定のcontextの中で語るのです。

 教会の祈りを導き、日常的な教会員の思いを聞き、共に祈り、共に担うことは役員の方でももちろん出来ますが、やはり、専任の、みことばを専門的に学んだ牧師が、居るに越したことはないと思います。
 August 11,1995

itsumi
教会