明石 散策

 放送大学公開講座の受講前に、明石の街を巡りました。

 最寄り駅はJR垂水駅なのですが、明石は方向的に西なので、JR舞子駅まで歩きました。垂水駅までは10分あまりですが、舞子駅までは15分あまり、1.5倍ぐらいありました。

 学生時代には、垂水駅から舞子駅まで電車通勤で、4年間、JR舞子駅を利用していました。当時は、改札の正面は売店のキオスクだった記憶がありますが、今はイートインコーナーがあるサンエトワール舞子店というパンやサンドイッチの店になっていました。

 4年間通っていたJR舞子駅の改札、当時は自動改札ではなかったです。

 ホームの西端にしか改札はなく、ホームの東側は不便です。でもホームの西側は、明石海峡大橋の下になっていたり、駅ビルが建っており、駅の南側に広がる松林で覆われた舞子公園が線路の南側に広がっているのが見えるのは、ホームの東側まで歩く必要があります。

 転落防止用に、JR西日本のホームの椅子は、線路と並行方向になっています。最近は首都圏の私鉄でもホームのムキを90度変更する動きがあるようですが、最初は、なんとなく変な感じがしました。

 西隣の朝霧駅で、ふと、大蔵海岸からぶらぶら歩こうかと、急遽、朝霧駅で降りました。明石と神戸の市境近くで、駅の南側には並行する山陽電車の線路があり、その向こうに国道2号線、そして大蔵海岸公園となっており、朝霧駅の南側で、国道2号線と国道28号線の分岐のY字交差点があります。ホームからは淡路島と明石海峡大橋が見えます。

 階段を上がると・・・南側にガラス後越しに明石海峡と淡路島が望むことが出来、ベンチが置いていました。

 改札を出ると、東側に大蔵海岸公園への歩道橋があります。JRの複々線、山陽電車、国道2号線と国道28号線を跨いで大蔵海岸公園とつなぐので、結構長い歩道橋です。

 23年前に明石花火大会歩道橋事故があり、この橋の上で11名がお亡くなりになり183名が負傷する被害がありました。橋の南側に慰霊碑「想」があり、その前で取材をしていました。

 歩道橋の南側の大蔵海岸公園にヨットが展示されています。冒険家の堀江謙一さんが1999年に太平洋単独横断に成功し、サンフランシスコから大蔵海岸に到着したヨット「モルツマーメイドII号」です。

 

 大蔵海岸から望んだ明石海峡と、淡路の島影、その間を結ぶ懸け橋、そして日本列島の南側を西から東へと進む冬の低気圧の低い暗雲が、ちょうど淡路島上空と明石海峡の上に列になって流れています。雲の合間からの、冬のやさしい陽光が、明石海峡の海面(うみも)を輝かせていました。

 大蔵海岸公園の西の端、国道28号線の「中崎公会堂前」の交差点に面した建物、今は介護関係の事業所が入っていますが、以前此処は、トーホストアのスーパでした。自転車でサイクリングして、ここでパンとドリンクを買って、大蔵海岸公園のベンチで休憩したことがあります。もう十数年以上前に閉店しました。

 中崎公会堂・・・1911年(明治44年)に、明石郡の公会堂として建築され、こけら落としに、明治の文豪・夏目漱石が講演をしています。ラジオ放送が始まったのが1925年(大正14年)なので、明治44年には、ラジオで一斉に講演を聴くことが出来なかった時代です。

 中崎公会堂の北側に、1950年(昭和25年)創業の料亭旅館です。女将は松平家の子孫にあたるそうで、皇族方も来店された、明石では由緒ある老舗の料理旅館です。

 人丸花壇の更に北に「大日本 中央標準時子午線通過地標」の石標があります。明治17年(1884年)のワシントンでの万国子午線会議で、世界の標準時に関しての取り決めが行われ、日本では東経135度の子午線の時刻を「日本標準時」として使用することになりました。明石郡に、この子午線が通過していることが当時は一般に知られておらず、明石郡の小学校の教員がお金を出し合って、この石標を明治43年(1910年)に設置したそうです。

 子午線通過地の石標の横に「子午線交番」があります。

 そして北側には、民家の屋根越しに、明石天文科学館のJSTの大きな時計が見えます。


   明石のマンホールは、この天文科学館をデザインしています。

 昭和レトロのたばこ屋さん、対面でたばこを買うタイプは、今は映画やドラマのシーンでしか見ることが出来ないと思っていました。

 明石海峡大橋が出来る前、フェリー乗り場近くに位置して好立地だった「本家きむらや」、玉子焼(明石焼)が有名になる前からの人気店で、真冬にも関わらず、待ち行列が出来ていました。椅子に座れない行列がまだ続いています。

 明石川の河口の西側に林崎漁港、河口の東側に明石漁港が広がり、明石漁港の更に東の中崎という入江と岬の部分に淡路島と15分で結ぶ高速艇の船着き場があり、その東にフェリー乗り場、そして大蔵海岸となっていましたが、明石海峡大橋の開通でフェリーの運航がなくなった後も、高速艇は明石と淡路とを結び足として運行しています。自転車で淡路をサイクリングしようと思うと、この高速艇しか選択肢はありません。ちょうど船が出たばかりで、高速艇の乗り場には、誰もいません。良い季節の朝には、淡路でサイクリングを楽しむ人の乗り残しがありますが、真冬のお昼なので、乗り残しはなかったようです。

  高速艇の船着き場の隣に船着き場があります。漁船が多く停留されています。

 本町通商店街、昔は国道250号線(明石から姫路、赤穂を経て岡山)でしたが、明姫幹線が出来て、旧浜国道と言われている通り沿いで、往時は賑やかだったようで、高速艇の船着き場の近くに現在の山陽電車の前身・兵庫電気軌道時代の明石駅があったようで、西国街道が、現在の本町商店街となります。通り過ぎてか気付いたのですが、昔ながらのレコード屋さんがありました。

 明石の観光スポット魚の棚商店街・・・休日は近隣の人だけではなく、観光客も加わって賑やかです。


 魚の棚商店街の浜側にある弁天通り商店街にトリックアートの大きなパネルが設置されていました。

 明石駅前の高層ビルのパピオス明石のあかし市民広場で「ペルシア&ギャッベ・スタイル展」が開かれていました。

 パピオス明石は通過するだけだったのが初めて館中を巡りました。ジュンク堂明石店が入っています。ジュンク堂明石店は、震災後はパピオス明石の場所にあったダイエー明石店だったところに、そして駅の西側のビルの2フロアに移転して、今はパピオス明石に落ち着いたようで、移転後初めてです。

  4階には、あかし市民図書館が、ほぼ全フロアを占めています。以前は、明石城公園内に、県立図書館と向かい合って明石市立図書館があり、夏休みは受験勉強をしに通っていましたが、久し振りの明石市の図書館です。

 開架式で、ひじょうに広かったです。徒歩圏内の垂水図書館は手狭ですが、来年末に新築オープンするようです。

 閲覧スペースから、明石城が一望できます。

 パピオス明石の4階からの吹き抜け部分を眺めました。

 学生時代、夏休みに明石の図書館に通っていた頃、山陽電車の明石駅は、地上駅でしたが、今はJR明石駅と並んで高架駅となっています。高架駅になってから利用した記憶が・・・ありません。

 地上駅だった頃には、確か駅中からも駅の外からも利用できた立ち食いの「山陽そば」ですが、改札口から少し離れた場所になっています。

 明石駅は、JRが複々線で島式ホーム2面4線、山陽電車も待避設備を備えた島式ホーム2面4線の高架駅なので、この上に4つの島式ホームと線路が8線となり、高架下の部分の幅が広いです。

 明石駅の東、国道2号線沿いのショッピングモールアスピア明石です。パピオス明石よりも古いです。

 CDショップ・・・神戸の街のCDショップが減って、大規模な売り場があるタワーレコードが1店舗ぐらいしか残っておらず、レンタルCD/DVDのTSUTAYAもコロナ禍で閉店して、大規模なCDショップには数年以上行ったことがないです。久し振りのCDショップ

 クラシックのコーナは、あまりスペースがなかったです。昔のCDショップは所狭しとCD棚があったのですが、店内はゆったりしていました。

 以前は、東京への新幹線や、京都・名古屋へ行くときの回数券を買いに、甲南チケットをよく利用していましたが、コロナ禍以降、甲南チケットを利用したことがなく、垂水の店舗もなくなっています。なんとなく懐かしくレンズを向けました。

  3階にはアミューズメントコーナーがあり、写真映えがするのでレンズを向けました。

 アスピア明石の7階は「交流拠点ウイズ明石」となり、生涯学習センターや男女共同参画センターなどがあり、貸し会議室があります。

 その一室で、放送大学の公開講演会がありました。

 来るときは、舞子駅から乗って朝霧駅で降りて明石の街を散策、帰りは、明石駅から乗って垂水駅まで。

 明石駅のホームからは、正面に明石城を望むことが出来ます。