2022_NewYear

本年も宜しくお願いします 令和4年正月

正月の寒椿(大晦日に開花した庭の寒椿の蕾)

  

昨年・2021年を振り返って

 昨年は、コロナ禍で始まった一年でした。この数年は初日の出を明石・南二見から望んでいます。明石海峡に浮かび上がる初日の出を南二見の東岸壁から播磨灘越しに・・・

令和3年正月元旦 初日の出 明石・南二見の東岸壁より望む

  オケとヲケの二人の皇子の物語が残る、三木・志染を1月2日に訪れました。明石海峡の海辺に近い自宅とは違って、山を越えると、早朝の田んぼは一面の霜で覆われ、其処に朝陽が射し込んで、美しい光景が広がっていました。

霜で覆われた蘖(ヒコバエ)に金色の朝陽が射し込む光景

オケとヲケの二人の皇子の物語 とは、大泊瀬(おおはつせ)皇子(後の第21代雄略天皇)に殺された従兄弟の市辺押磐(いちのへのおしは)皇子の2人の息子が逃げて隠れ住んで、後に24代仁賢天皇 と23代顕宗天皇となった物語で、 市辺押磐皇子の2人の息子 である億計王[意祁王](おけのみこ)と弘計王[袁祁王](をけのみこ)、オケとヲケが隠れ住んだのが播磨の美嚢・志染だったそうで、この志染の石窟に隠れ住んだという伝説が残っています。

美嚢・志染 の石室

 1月17日には、東遊園で開催される、阪神淡路大震災が起こった朝5時46分の黙祷ではじまる「阪神淡路大震災1.17のつどい」に参加してきました。

阪神淡路大震災1.17のつどい

 コロナ禍で、人数制限をするとのことでしたが、東遊園地の会場に入ることが出来ました。

  震災から21年が経過していますが、参加者も報道陣も多かったです。

 3月に京都・東山を訪れました。毎年、京の四季折々を訪れるのですが、コロナ禍の中で久し振りの京都です。早朝から海外の観光客で賑わう清水寺周辺は・・・閑散としていました。産寧坂を写真で撮ろうと、いつもは絶えない人混みが少なくなるタイミングを見計らうのですが、誰もいませんでした。なんだか寂しげな産寧坂です。

コロナ禍で誰もいない産寧坂

  阪急電車・河原町駅から、祇園の花見小路通を通って、清水坂、産寧坂、二寧坂を経て八坂神社、そして円山公園を散策して、知恩院へ。三条通を渡って平安神宮の大鳥居前の慶流橋からの東山方面の眺めがお気に入りです。ちょうど桜が見頃でした。

慶流橋から東山の眺め

  平安神宮へ寄って、仁王門通りを通って南禅寺、水路閣を経て、鹿ケ谷通を通って哲学の道へ・・・桜が見頃の時は、大変混雑するので、いつもは避けていましたが、今年はコロナ禍で、ゆったりと哲学の道を散策しました。

桜で彩られた哲学の道

 銀閣寺前から、今出川通りを経て百万遍。百万遍の辺りは、昔からの面影を残す古本屋があって、学生街の雰囲気が好きです。

京大前の古本屋の一軒

京大の学食で昼食を摂ろうかと思いましたが、コロナ禍で春休み中は営業していないかもしれないと、そのまま出町柳まで。賀茂大橋を渡って、同志社大学のキャンパスを散策して京都御所へ。そのまま南へ向かって錦市場へ。歩けないほどの人混みと食べ歩きの光景は、ありませんでした。

コロナ禍の錦市場

 東山散策の経路を、スマートウォッチのGPS機能の記録を見ると、

京都・東山散策のルート

 16.8kmを約5時間掛けて散策したことになります。

 コロナ渦で、4月の連休前に緊急事態宣言も出て、あまり出掛けることもなくなって、自転車でサイクリングを愉しむことが多くなりました。加古川の河川敷が走りやすくて、加古川の河川敷まで約30km、河川敷を20~30km走って帰路へ向かうと、80km~90km走ることになります。

加古川に架かるJR加古川線の鉄橋を背景に

 加古川の河川敷沿いに上流に向かって、三木市、小野市まで行くと、往復で120kmとなって、時間的にも半日以上となって、また身体的な負荷も多く、帰宅後の疲労も大きくなります。

 加古川を渡って、県道554号姫路明石自転車道線をそのまま西へ向かって、高砂市を横断して、高砂と姫路の市境となる天川に掛かる銀輪橋、この橋は、山陽新幹線と並行して、隣には車用の橋もあり、自転車専用の「銀輪橋」で、この橋を渡ると姫路市・・・

銀輪橋:天川に架かる自転車県道の橋

 早朝から昼過ぎまでサイクリングを愉しむと、結構、運動量が多くなり、運動消費カロリーも2000kcalを超えて、基礎代謝量と併せると、一日4000kcalを超えることもありました。

約8時間のサイクリングでの運動

 夏に、新型コロナのワクチンの接種を、神戸で大規模接種会場となったノエビアスタジアムへ行きました。JR新長田駅と兵庫駅から無料のバスが運行されて、会場に着くと、凄い人・・・

 新型コロナのワクチン接種の大規模接種会場

  以前は、春先には淡路の水仙郷から始まって、季節折々の花々や紅葉を兵庫県の彼方此方に出掛けて撮っており、夏には南光町の広大なヒマワリ畑へ行っていましたが、今年は、7月に小野のひまわり畑へ・・・

小野のひまわり畑
小野のひまわり畑

 コロナ禍の中、9月上旬に発熱。いつもならば掛りつけのクリニックへ行くのですが、コロナ禍で、特に9月は新型コロナに感染しても、重症でもないと入院出来ないような医療崩壊の危機が迫っていた時期で、掛りつけのクリニックは発熱外来を受け付けておらず、しかたなく自宅で様子を見ていたのですが熱が下がらず、近くの病院の救急外来に連絡して行くと、新型コロナに感染しているか検査して陰性と判明しないと受診出来ないとのことで、抗原検査とPCR検査を受けて・・・結局、発熱してから新型コロナに感染していないことがわかって、救急外来で受診出来るまでに1週間かかりました。
 1週間経って悪化して受診して、検査した結果、炎症反応検査でCRPの数値が高く、そのまま緊急入院する羽目に・・・。新型コロナ禍の中で、なかなか受診できず、医療崩壊の危機が渦巻く中で、自宅で悪化して巻き添えに逢ったような感じでした。

入院していた病室

 入院の結果、集中講義の8コマ分が出来なくなり、本来前期で履修する科目でしたが、大学の計らいで後期に延期してもらうことになりました。これもコロナ禍の影響でオンライン授業ということで、10月に入って8コマ分の授業を・・・実際に授業に入ると、音声が不安定で、学生側からの音声が届きません。仕方なく休憩時間までは、放送大学のような感じで一方通行的な講義形式になりました。急遽、音声用にノートパソコンを追加して、やっと双方向のオンライン授業が出来るようになりました。ただ、それまでのプレゼンテーション資料、学生との通信、そして管理画面と、元々の3画面に、音声用に追加したノートパソコンの画面とキーボードが増えて混乱して、授業中に操作ミスを何度かしてしまいました。

混乱したオンライン授業の発信状況

一昨年亡くなった父が写真が好きで、撮影だけではなくて、自宅でモノクロの現像とプリント(焼き付け)をしていました。そのため、子ども時代の写真が多く残っいます。おそらく赤ん坊の頃の写真は、このカメラで撮ったのではないかと思います。キヤノン製のライカレプリカで、完全マニュアルで、メカ式のカメラです。一度、このカメラで撮影したことがありますが、フィルムの装填もむつかしく、また露出と合焦(ピント合わせ)もマニュアルですので、一枚撮影するのに手間と時間が掛かります。

キヤノン製のライカレプリカ

 ものごころついてからは、このミノルタのカメラで撮影していた記憶があります。

ミノルタ SR-7

3歳までのアルバム、3年で336枚の写真が収められていました。

3歳までの3年間のアルバム

 コロナ禍の中で、アルバムに貼られた写真を、パソコンに取り込む作業を晩秋からはじめました。

オリジナルの写真データを、撮影した当初の状態に修復する作業と、幾つかの写真をモノクロからカラー化の作業。でも元々のセピア色の写真の方が、ノスタルジーの雰囲気が出ており、どの状態が良いのか・・・悩みます。

アルバムの写真をデジタルデータ化
修復作業の結果
モノクロをカラー化

 デジタル化アルバムの写真を使って、スライドショーも制作して、YouTubeにアップしています。

BoyHood Ⅱ 「3歳の記憶」YouTube動画 

今年・2022年が佳い年でありますように・・・

web版 2022年(令和4年)新年の挨拶状