ススキ 言葉

 住宅地の一角の空き地で、ススキが晩秋の朝の陽射しを受けて輝いていました。華やかな原色系の花とは違う美しさを感じ、スマホのレンズを向けました。

 垂水は小さな川と丘と谷が多く、海岸沿いを除いて住宅地の中にも高低差があるので、どうしても坂や階段が多いです。福田川と暗渠の天神川の間も、少し海岸線から離れると、結構急な坂道の両側に住宅が並んでいる光景が多いです。

 ラジオの番組で、言葉を巡ってのトークがあって、ちょっと聴き入ってしまいました。そして日本人全般の「ことば」の能力が低下している文章があったことを思い出したのですが、どの本だったかは忘れてしまいました。気になって本棚から目星をつけて3冊選んで、ざっと探していると、大野晋著の「日本語練習帳」のコラムでした。

 明治以後、日本は中国文明圏、 漢字文明圏から、ヨーロッパ文明圏、英語文明圏へ と転換をはかったわけで、漢字の理解力は一般に年とともに減っています。 最近はますますはなはだしくなりました。しかし、これは戦後、急に広まった傾向ではありません。

 東京大学で上代文学の講義をされていた五味智英先生は、私の旧制高等学校の先生です。その縁で先生と『万葉集』の注釈のため数年いっしょに研究したことがあります。その途中に、古い注釈書の文章で自分に読めない字があったとき、漢和辞典を引 かないで直接先生にうかがうと、先生は読めた。 そんなことが二、三回ありました。 先生と自分とは漢字の理解の幅が違うなあと思ったことでした。 先生と私との年の差は十一年です。ところが、五味先生の十二年年上の麻生磯次先生は、江戸時代の水墨画の賛の漢文をすらすらとお読みになりました。五味先生にはそれはむずかしいとのことでした。麻生先生より、十年ほど年上の安倍能成先生は、漢詩を作ったりなさっ たようです。麻生先生はそれはおできになりませんでした。つまり、漢字・漢文の能力は、安倍・麻生・五味・大野と十年ずつぐらいの隔たりで、一歩一歩落ちていたの です。

 それでも私は中学・高校・大学で漢文を学びました。高等学校の漢文の入試問題は、 返り点もない漢字だけの、白文の文章でした。中学で『論語』『孟子』、大学では「孫子』。孫子の兵法など、とても面白いものでした。また、『論語』や『孟子』には、人生に対する深い洞察の示された文章がたくさんありました。日本人はそれによって人 間を見る眼、人生を見る眼を養ったのでした。今の若い人たちは、私たちの十分の一 も漢文を学んでいません。 漢文に代わって、「こんにちは」「さようなら」にあたる英 語が聞き取れる方が大事だとされているようです。 それはそれで大事ですが、英語の文章で、漢文に代わる内容が与えられているのかどうか。 『論語』などに示されている人間存在や人生についての知恵あるいは達見は、若い時期には深くは分からないものです。しかし年とともにその意味がよく理解されるようになります。今日の英語は 漢文に代わってそれを与えているでしょうか。

(大野晋著「日本語練習帳」より引用)

 日常会話には不自由しなくても、心の奥の思いをことばに込めたり、他者が発した言葉から、その人の心の奥の思いを読み取って共感(sym-pathy、com-passion)することが不得手になっているのかもしれません。オンラインで画像や動画、或いは長々とやりとりをして、互いに分かり合える仲間とのコミュニケ―ションには便利になったことが、逆に大切な教養が退化しているのかなあ~と、ふと感じました。

itsumi
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