美嚢川と三木鉄道跡

 播磨灘に流れる河川に加古川があり、その支流に美嚢川があります。美嚢川が加古川に流れ込む辺りから、国道175号線の間の美嚢川沿いの南側一帯は田畑が広がっており、お気に入りの場所の一つですが、最近は足が向いていなかったので、久し振りに訪れました。晩秋んぼこの時期、田んぼにはヒコバエが育っていたり、耕運機で掘り返されていたり、さまざまでした。

 ここは掘り返されていますが、田んぼではなくて野菜の畑だったかもしれません。美嚢川の下流(西)から上流(東)を望んだ光景です。

 三木の街は、国鉄時代には三木の古い街にあった三木線の三木駅から、この田畑が広がる美嚢川の南側を走って、加古川線の厄神駅までつないで、そこから加古川沿いに加古川駅、そして乗り換えて山陽本線で明石・神戸・大阪というルートだったようです。JRとなって三木鉄道として残っていましたが、それも廃止となり、今は線路跡が遊歩道・サイクリングロードになっています。

 三木鉄道跡と並行するように、美嚢川の南側の田畑の中に、超高圧の送電線が並んでおり、壮観です。

 久し振りに超高圧送電の鉄塔の写真を何枚も撮ってしまいました。

 一面の田畑の中では、撮影のために車からおりると、土の香りがほのかに漂って、神戸の住宅地とは空気が違うように感じます。

三木鉄道、2002年8月8日 

 ハードディスクのデータから、23年前のデジカメで撮った画像データを見つけました。FujiのFinePix S602という300万画素の当時のデジカメで撮っていました。まだ一眼レフはフィルムカメラを使っていた頃です。使っていたメモリーカードが、今は使われることがほばないFujiのスマートメディアで、多分容量が64MBぐらいで数千円した時代、30枚ぐらいの画像が記録出来てPCに転送すればメモリーの画像を消去して、また使えるという、フィルムでは考えられないと当時は重宝していました。

 今、デジカメに使っているメモリーが数十GBやそれ以上の容量のSDカードで、数百倍以上の容量でも値段はもっと安くなって、枚数を気にせず動画も撮影できるようになって、20年ちょっとで、デジカメの撮影環境も大きく環境が変化したようです。

itsumi
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