読経、抹香、偈、和讃

伯母の3回忌の法要、土曜のお昼前にお西さんの寺の僧侶の読経で始まり、抹香による焼香の香りが和室に漂う中、目を瞑って読経を聴いていると日常生活から離れた感覚に陥りました。
キリスト教の教会では、現在では現地語の聖書朗読があり、現地語での聖歌・讃美歌ですが、宗教改革前はラテン語での聖書朗読と、聖歌もラテン語だったわけで、漢訳の経典の読経に併せて、一部梵語のような響きの読経もありましたが、サンスクリット語だったのか?それとも漢訳仏典の読経を聴いていて、抑揚からサンスクリット語のように感じただけで漢訳の経典だったのかもしれません。中世のヨーロッパの教会でも、ラテン語による式文の礼典の中で、ラテン語の聖書朗読と聖歌を耳にして、同じ様な感じを一般の人は感じたのかなあ~と、厳かな法要の中で、焼香の香りと読経に満ちた部屋で、はるかヨーロッパの教会の1000年ぐらい前の中世に思いを馳せました。
その後に親鸞の正信念仏偈という偈文、そして弥陀成仏という和讃が続きました。

法要後は、車での移動でハーバーランドの木曽路、プロメナ神戸の18階で最上階です。クリスマス前の土曜日でハーバーランド一帯の道路は渋滞していました。来週の週末・土日は大晦日の直前なので、また違った賑わいになるかもしれません。

展望レストランなので、18階からは、108mの高さの神戸ポートタワーが、見る角度の錯覚のようで、見下ろすような感じに見え、六甲山系の山麓、東西に細長い市街地、そして港と大阪湾が見渡せました。

自宅に戻ってグレゴリオ聖歌という中世のラテン語による単旋律・無伴奏の聖歌のCDを聴き、普段は無縁になりがちな霊性を求めましたが、俗っぽい生活にドップリ浸かっている身では、なかなか霊性の域に達することはできませんでした。