生活共同体

 私の自宅近くの神社は、例祭毎に露天・屋台が賑やかで、参拝というか、結構、人が集まります。月末の日曜はフリーマーケットの会場で電車に乗って来る人も多いようです。~会というような団体の集合場所としてもよく利用されており、普段は散歩コースです。私自身も、散歩でよく利用しますし、神社のお祭りにもよく行きます。
 信仰とは別の次元で、私にとって神社・神社の境内は、町の憩いの場であり、(語弊がありますが)ハレの場なんです。おそらく、私以外の、ごく普通のご近所さんにとっては、もっともっと「親しみやすい場」であろうと思います。

 それに対して、クリスチャンの私でさえ、教会って、そんなに親しみやすい場ではないんです。(私だけ??)私のこれまで経験した教会は、小規模のプロテスタント教会ばかりなので、礼拝や集会以外の時は教会は鍵が掛かって入れませんので、「今日はちょっと、礼拝堂で一人静かに祈ろう!」というよう思っても実現できませんし、結局は、散歩の道すがら神社の境内に立ち寄ったりしてしまいます。(もちろん参拝はしないけど・・・・)

 神社で宮司さんに出会っても、目礼するぐらいで、伝道された経験は一度もありませんが、でも教会のクリスマス等に知人・家族を連れて行くと、伝道されてしまいます。教会と信仰が不可分なんですね。信仰的な高揚が大きい時は「良き場」なんですが、そうでない時には、私には結構、敷居が高く感じます。

 ”今もって神社を中心に共同体が形成されている歴史的な「形」”は、まだまだ実質的な意味を色濃く持っている場合が多いように思います。私自身も、信仰的な部分を除いて、結構、その「歴史的な形」の恩恵の中にあるのかもしれません。

 裏返しに言えば、残念ながら、私自身は、「教会を中心とした『共同体』」というものへの帰属意識が薄いです。教会の交わりは『信仰共同体』、『聖餐共同体』というような限定的な共同体でしかないんです。生活・いのち・人生全般に渡っての、広い意味でのライフを共有しあう『生活共同体』が見えないんです。
 Nov2,1999

itsumi
信仰を巡っての断片