いつのまにか

 思い出したのですが、神戸に越した最初の正月に、歩いて15分程のところにある神社の青年会の訪問があり、寄付の要請を受けました。ちょっと事情がわからなかったので、いろいろ聞くと、それなりの答えを丁寧にしてくれて、お金も受け取らず帰りました。翌年からは音沙汰なしです。
 どうも、その神社の教区内(?)に引っ越してしまったようで、自動的に氏子になっているのかもしれません。なんだか私自身よくわからないままなので、ちゃんとした説明ができないのですが、そういうことがありました。

 まあ、神社の氏子になると、具体的にどうなるのか見当もつきませんが、お寺さんの方は、葬式・お墓・仏壇がからみますので、なんとなく厄介な気がします。

 私は、子供の頃は、アメリカ・ヨーロッパというのはキリスト教の国だと思っていたのですが、案外、イエスをキリスト、との明確な信仰を持ったクリスチャンが少ないというのが実情だそうです。幼児洗礼を受けて、統計上はクリスチャンで、結婚式や葬式は教会との関わりはあっても、普段の礼拝とはほとんど無縁で、ましてや信仰の中身を持たないそうです。日本の仏教徒や神社の氏子のようなものなのかなあ~?と、勝手に想像したことがあります。
 感覚的にわからないのですが、両親が明確な信仰を持たないままに、生まれてきた赤ちゃんに幼児洗礼を施すというのは、日本のお宮参りのような感じなのかなあ~?と思います。「いつのまにかクリスチャン」というのが受け継がれていくのでしょうか?(そでなければいいなあ~、と思いつつ・・・)

 永い歴史を持つ伝統的な宗教にとって、避けられない問題なのかなあ、と思っています。
 Oct28,1999

itsumi
信仰を巡っての断片