かぜの てのひら

 「マルハラスメント」というのが、少し前から話題になっています。LINEなどで、年齢層の高い人から受け取ったメッセージが句点で終わっていると、年齢層の若い人は、距離感や冷たさを感じて恐怖を抱く・・・というもので、句点の「。」をマルと呼んで、マルハラと言うそうです。

 昨年の秋頃には、長文で絵文字や顔文字を多用する文章に対して「おばさん構文」と表現する報道もあって、X(Twitter)やLINE等、昔風に言えば電報のような、短いフレーズだけのやり取りが主流のネットでのコミュニケーションにおいての、表現における世代間のギャップが違和感になったり、距離感や冷たさを感じるという風潮です。

 それに対して歌人の俵万智が“マルハラ”について詠んだ歌が、ちょっと切り口が鮮やかだと話題になっています。

  優しさに ひとつ気がつく ×でなく ○で必ず終わる 日本語

 「×でなく○で必ず終わる」という切り口、「マルハラ」ではなくて「やさしさ」と気付くことの妙・・・

 2階の出窓の オリズルランが、冬の陽光の「やさしさ」に輝いています。俵万智の「優しさに ひとつ気がつく」というフレーズ、とても大切だなあ~と感じます。

 図書館から借りている俵万智の詩集、「サラダ記念日」を読み終えて、第二詩集の「かぜのてのひら」を読んでいました。

  あの夏に 君と笑った お芝居の チケット栞にして 読む詩集

 以前は、栞にも凝っていた時期がありますが、最近はレシートを栞として使うこともあり、ハッと気づかされました。レシートを栞として使っても悪くはないですが、でも、栞にも気を遣う心を持ちたいなあ~と・・・

 気がつけば 君をめぐりいるだけの このつれづれの エリック・サティー

 ドビッシーやラヴェル、サティーのようなフランスの印象主義的なピアノ曲は、逡巡するような雰囲気で、ピアノの調べの虜になっているような感覚に陥ることがあり、最近は、バロック時代のラモーのクラブサンの曲にも、同じような感覚に陥ります。ラモーもフランスの作曲家でした。

  逆光にて 写りそこねし 風景も 見えてくるなり 見つめておれば

 良いなあ~と思った光景にレンズを向けても、うまく写っていないことがあり、でも、その失敗写真も、撮った時の状況の記憶を辿る糸となって、デリートするのが忍びなく、残している写真データが幾つかあります。

 一片の 詩句に惹かれている窓べ 「人間商売さらりとやめて」

 福島の二本松の酒蔵の家に生まれた智恵子が、高村光太郎と出逢い、智恵子が亡くなった後までを綴った詩集「智恵子抄」に、「千鳥と遊ぶ智恵子」という詩が収められています。

  群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ
  ちい、ちい、ちい、ちい、ちいー
  人間商売さらりとやめて
  もう天然の向うへ行ってしまった智恵子の
  うしろ姿がぽつんと見える。
  ・・・・
   (「千鳥と遊ぶ智恵子」より、高村光太郎)

 光太郎と智恵子が、九十九里浜に転地療養した時の詩で、俵万智と同じように「人間商売さらりとやめて」というフレーズが、心に深く響きます。

  すれ違う 人みな誰かに似ていると 思う夕べの ソニービル前

 今はなき有楽町の数寄屋橋交差点のソニービル前のイメージは、何故か私も夕方の光景です。ショールームがお目当てで、ワクワクする空間のソニービルでしたが、地下にはソニープラザがありアメリカの甘くて高カロリーのお菓子を買ったり、中古のレコード屋さんもあってボブディランの「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」のLPレコードを買ったのもソニービルで、いつかはマキシム・ド・パリで食事を・・・と思ったこともありました。ソニービルを出る頃には夕方になっていたのか、数寄屋橋あたりの記憶の光景は、赤く照らされた夕景で、この俵万智の歌を目にして、過去の光景が蘇ります。

  月島の 路地のはずれの 販売機 だれに買われゆく コカ・コーラ

 数寄屋橋の交差点から銀座三丁目を抜けて、歌舞伎座の前を通って、築地本願寺を横目で見ながら、築地の場外市場の脇を通って勝鬨橋で隅田川を渡れば、月島そして佃島。路地に入れば、粋な江戸弁の会話が聞こえそうな佇まいで、リバーサイドのタワーマンションと、路地裏の江戸情緒が残る光景とのアンバランス。昔はほんとうに島で、渡し船で行き来していた空間で、「瞳」という十数年前の朝ドラの舞台が住吉神社の近辺で、そして、その住吉神社へ参ることが発端の「佃島」という落語もあります。

 高校教師時代の歌にも共感しました。

  「だいじょうぶ?」 呪文のようにくり返す 何の役にも 立たない言葉

  六回の 起立気をつけ 礼をして 先生われの 木曜終わる

  「うちの子は 甘えんぼうで ぐうたらで 先生なんとか してくださいよ

  十六で もう人生投げている とにかくそんな 目をして見せる  

 いろいろな思いを持って、俵万智の「かぜのてのひら」の歌に触れました。

itsumi
blog(つれづれに)