I love you. 月が綺麗ですね

 夏目漱石は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の後任として、1903年(明治36年)に東京帝国大学文科大学(新制・東京大学文学部)の英文学講師となり、第一高等学校(新制・東京大学教養学部)の英語教師も兼任をし、その後、明治大学の講師もさらに兼任していたように、元々は英語教師・英文学者で、1900年(明治33年)には文部省より英語教育法研究のためにロンドンに留学をしています。大学在学中には東京専門学校(新制・早稲田大学)の英語講師をしていたこともあり、大学卒業後には高等師範学校(新制・東京教育大学)の英語教師、その後は愛媛県尋常中学校(旧制・松山中学、新制・松山東高校)の英語教師、そして第五高等学校(新制・熊本大学)の英語講師を歴任しています。

 ただ漱石自身は、英語教師をしながらも、日本人が英文学を学ぶことに対して違和感を感じていたそうです。小泉八雲の後任として大学の英文学講師となりましたが、八雲の授業が学生に人気があったのに対して、漱石の授業は学生には不評だったそうで、学生による八雲留任運動が起こったそうです。また巌頭之感(がんとうのかん)という遺書を遺して華厳滝で投身自殺した藤村操は、漱石の一高で受け持っていたクラスに在籍して、漱石が自殺直前の授業中に藤村に対して「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていたそうで、漱石が藤村を死に追いやったというような謂われのない噂が囁かれたようです。

 漱石の逸話として、授業中に学生が “I love you.” を「我君を愛す」と訳したことに対して、漱石がロマンチックに「月が綺麗ですね」と訳すように言ったという逸話が残っています。ただ何の根拠もない話で、都市伝説ではないかとさえ言われていますが、結構、雑学として流布しています。

 小説「三四郎」の中で、”Pity’s akin to love” を「かあいそうだたほれたってことよ」という翻訳を巡った会話が、三四郎と美禰子、与次郎と広田先生の間で交わされ、広田先生が「いかん、いかん、下劣の極だ」と評しています。そこに現れた野々宮さんが、その翻訳を聞いて「なるほどうまい訳だ」と言って会話が終わっています。この小説「三四郎」の会話を考えると、上記の逸話も、あながち都市伝説でもないようにも思います。直訳すれば「哀れみは愛に似ている」というニュアンスでしょうか?

 また小説「草枕」の最初のシーンで、山路で雲雀の鳴くのを聞いて、シェレーの雲雀の詩から、

We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

・・・ Shelley, “To a Skylark 86-90

「草枕」の中では、このシェレーの雲雀の詩を紹介した後に、次のような和訳が続いています。

前をみては、しりえを見ては、物欲ものほしと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、きわみの歌に、悲しさの、極みのおもいこもるとぞ知れ

 直訳すれば「過去を振り返り未来を望む。そして、そこにないものを求める。心の底から笑っているときにも、
どこかに痛みを抱えている。もっとも美しい歌は、もっとも深い悲しみを歌う。」

 この「草枕」の英訳を “The Three-Cornered World” というタイトルにしたのは Alan Turney です。

 四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。

 Alan Turneyは、この部分を

I suppose you could say that an artist is a person who lives in the triangle which remains after the angle which we may call common sense has been removed from this four-cornered world.

 直訳すれば「芸術家とは、この四隅の世界から常識と呼ばれる角度を取り除いた後に残る三角形の中に生きる人間であると言えるでしょう。」

 Alan Turney は、最初は英国大使館勤務で東京に来て、その後、国際基督教大学にて日本文学の講義をして、そして清泉女子大学教授となり比較文学を教えていた英国人です。「草枕」は日本に来てから読んだようで、「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家」の箇所が小説の内容をよく表していると考えて英訳本のタイトルを “The Three-Cornered World” としたそうですが、後になって、そのまま ”The Grass Pillow” でも良かったとも言っています。

“I love you.” を「 月が綺麗ですね」と訳したと言われる漱石が、Alan Turney が「草枕」という小説のタイトルを ”The Three-Cornered World” としたことを、どのように感じるのかなあ~と、ふと考えてしまいました。

東京朝日新聞1911年2月24日(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)

 113年前の今日・1911年2月20日の夜に、漱石の自宅に学位を授与するから出頭しろと通知があった日です。漱石はそれに対して「私は博士の学位をいただきたくないのであります」と言って、2月24日の東京朝日新聞は「博士称号を返上」という見出しの記事を載せています。

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