熟字訓

 「五百蔵」“いおろい”・・・地図を見ていて、神戸西区jの雌岡山と雄岡山の間あたりの地名を見て、なんで「五百蔵」を”いおろい”と読むんだろうと調べると、江戸中期に美嚢郡吉田村(現・兵庫県三木市志染)に住む五百蔵孫六勝成という人物が、明石郡藩主(明石城主)に雄岡山の北側の新田開発を願い出て、その結果できた集落なので、開発者の名前から五百蔵という地名になったようです。でも何故、「五百蔵」を”いおろい”と読むのかは、わかりませんでした。

 単体の漢字の音訓の読みではなくて、和語(日本語)を熟字単位で訓読みを割り当てたものを熟字訓で、五百蔵を調べていると、熟字訓の例として挙っていることが多かったです。

 小学館の日本国語大辞典(精選版)によると
《名》漢字二字、三字などの熟字を訓読すること。また、その訓。昨日(きのう)、乳母(うば)、大人(おとな)、五月雨(さみだれ)など。〔本と校正(1965)〕

岩波書店の広辞苑(第六版)では
「熟字を訓読みにすること、また、その訓。「私語」を「ささやき」、「五月雨」を「さみだれ」と訓読する類。

ちょと興味を持って、研究社の新和英大辞典(第五版)で調べると
an idiosyncratic reading of kanji compound berring no relation to the individual readings of the constituent kanji
(構成する漢字の個々の読みとは関係のない、漢字熟語の特異な読み)

 久し振りに本棚から古い本を取り出しました。金田一春彦の「日本語」、そして大野晋の「日本語練習帳」です。金田一春彦の「日本語」は、高専の1年か2年の時に買ってから、何度も引っ越しする中で手放すことなく、また紛失することなく持ち続けている蔵書の一冊ですが、でも何年も手にとっていないです。

 言葉の曖昧さと奥深さ、そして読みや意味が移ろい、まるで生きもののような感じがします。
 



 



 

itsumi
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