木漏れ日

浜の宮公園(浜の宮神社参道、加古川市) Aug17 , 2018

 朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の中で、先週の最後は『木洩れ日』と言う言葉がキーワードになっていました。

駐留軍のロバートが、雉真安子に「日本語の『木洩れ日』は英語で何というか知っていますか?」と、神社の境内で影踏みをしていた安子に問い掛けるシーンがありました。

英語では『木洩れ日』のように”ひとこと”で言い表す語彙を持っていないとのこと。手元の電子辞書で調べると、

sunshine filtering through the branches of trees
   新和英大辞典(第五版) 研究社、2008年

ロバートは、影踏みをしている安子の姿を見て、『木洩れ日』という言葉を持っている日本語は素晴らしいと・・・自分も木洩れ日の影踏みをはじめました。

 このシーンを見て、毎年、真夏になるとサイクリングで、強烈な夏の陽射しで映し出された木洩れ日の中を走る光景を思い出しました。そして夏休みに、慶応大の通信課程のスクーリング授業での社会学を担当された大淵先生の授業を思い出します。



 暑さに弱った身体に、八月は、追い討ちをかける白い光の洪水の季節だ。麦藁帽子の幼い日の丸くて小さな小さな影法師。露出オーバーの記憶のなかの八月の原風景は、不思議と白黒の写真だ。

 自分の影法師に、身を隠せば、それだけ、涼が得られると思い、何度もなんど も、影を追いかけた。幼い身を屈め、影のなかに入ろうともした。そんなセピア 色の八月の原(ら)っば。

 炎の暑さのなかで、木陰に見る夢は、静かに眼を閉じて見る夢だ。夢とは、そもそも、イメであり、イとは、目を閉じて寝ることであり、メとは目を意味した。 つまり、静かに目を閉じて光をさえぎると、その闇のなかに、何かが見えてくることを意味した。光のなかでは、その姿を現さないものが、光の届かない闇のなかに見えてくるのだ。もうーつの現実が夢に現れてくるのだ。光に満ちあふれた 八月の陽射しに背を向け、しばし、緑陰を求めるのは、涼を求めるだけではなかったのでは。

無双窓から  大淵英雄
    三色旗、1990年8月、慶応義塾大学通信教育学部


 木洩れ日、影踏み、影法師、真夏の陽射し、明暗の強いコントラスト・・・

 寒波に襲われた真冬の寒さの中で、『木洩れ日』と言う言葉から、光で満ち溢れた真夏の露出オーバーの光景への追憶に満たされました。

    


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