信仰の内容

 「救われる」ということと「救われたい為の信仰」とが、私の中でどうも重ならないのです。

 信仰を持たない人が、神の存在を認めるようになり、その神が「信ずれば救う」神であると知り、救われたいために「信じた」としたら、その救われたいという「執着による信仰」によって救われる(解脱できる)のでしょうか?

 「信じられるレベルになるまで待てないのか」という言葉の背景に、「人を救う神なる存在を認め、その神が信じる者を救うことを認めたら、その信じる者を救う神を信じて、この私を救って欲しい」というような気持ちがあるように私には思えるのです。

 私はむしろ、今の、神の救いに全く執着の人の方が、救い(解脱)に近いようにも思えるのです。まさにそれこそ「信じてないのに救わないで欲しい」というところの「お節介な神」なのかもしれませんが・・・。
 Aug12,1996

itsumi
信仰