偽善・露悪

 漱石が「露悪」という言葉を何かの作品で結構使っていたと記憶しています。
 
 「義人はいない」と言うならば、「おのれを人に見せつけようとする」ことは、「偽悪」というより「露悪」なのかなと連想しました。
 
 ただ、「偽善を避ける」 ための「おのれを人に見せつけようとする」というのなら「露悪」を通り越して「偽悪」なのかもしれません。(「通り越す」というより「裏がえる」?)
  

 「露善」は「善」なんでしょうか?そして「偽悪」は「善」なんでしょうか?
 
 「罪を言い表す」と言う場合に「悪」「善」が、実は「偽悪」「偽善」だったかなあと後で思うことがあります。「露悪」「露善」も考えものです。
 Feb1,1997

itsumi
アラカルト