憂国忌

11月25日になると、三島由紀夫のことを思い浮かべます。三島由紀夫のことを知ったのは、自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで演説した姿をニュース画面で見たことが最初で、どうしても先入観を持ってしまっています。遺作となった「豊饒の海」の4部作だけは新潮社の全集を持っていますが、それ以外は文庫本で、今は「音楽」のみが手元に残って、それ以外は何度かの引っ越しの折に散逸しています。憂国忌なので本棚から取り出したのですが、「豊饒の海」の大作を今、読み始めようとは思いませんでした。

以前に「豊饒の海」の第一作「春の雪」の中古DVDがあったのを買った記憶はあるのですが、観たかどうか覚えていません。探すと、DVDが出てきました。三島全集の大作を今は読む気力がないので、今晩は「春の雪」のDVDを観て三島を偲ぼうかと思います。亡くなって55年、三島の人生よりも長い年月が経過しています。
そして1925年(大正14年)生まれなので、昭和100年となる今年は、もし生きていれば100歳になっていました。ロシアの作家トルストイが回心以降に、大きく創作の方向性が変わったように、もし三島が55年前の三島事件で自らの生命を落とすことなく、その後に人生観が変わって、トルストイのように創作の方向性が大きく変わったことを想像しようとしても、そのような三島像の想像すら出来ません。
11月25日はハイビジョンの日、以前にハイビジョン関連の研究開発に携わっていたので、アナログハイビジョン時代の水平走査線数1125本にちなんでいるのと、ハイビジョン試験放送が1991年11月25日であったこともあります。実際にはアナログハイビジョンでは帰線期間があるので有効走査線は 1,035本で、現在のデジタルハイビジョンでは1ライン当たりの有効画素数が1,920で、アスペクト比が16:9なので有効走査線数が 1,080として正方画素になっています。
毎年、11月25日は三島由紀夫とハイビジョンのことを想起します。それと東京・池袋に勤めていた時に、憂国忌が近づくと赤尾敏のポスターが彼方此方に貼られていた光景を思い出します。