水道筋商店街

ドラマのロケ地を巡ってきました。
1年前の2024年度後期の朝ドラ「おむすび」の舞台となっていた水道筋商店街です。行こう行こうと思いながら、なかなか足が向かず、もうドラマの放映が終わって半年が過ぎ去っています。水道筋商店街を探索するのは20年ぶりぐらいです。

JR神戸線の灘駅から水道筋商店街へ向かう途中、幼稚園の子どもたちが列になって歩いていました。

水道筋商店街のアーケード街の西の入り口です。阪急電車の王子公園駅の駅前にもなって、もっとも賑やかな処です。勤務校から徒歩圏内だったこともあって、移転した当初は、よく来ていましたが、少し離れていたこともあり、商店街の中をくまなく歩きまわるのは20年ぶりぐらいです。

昔からあるような青果と果実のお店、平日の昼過ぎですが、結構人通りが多く、昔からの店が多いのは、湊川の東山商店街と、ここ水道筋商店街ぐらいでしょうか?垂水駅前の垂水センター街も賑やかですが、昔からの店は少なくなっていますし、規模はかなり小さくなっています。新長田の六間道商店街も昔ながらの店は減って、東側はアーケードも撤去されています。

昨日、元町商店街にもあった ちから餅が水道筋商店街でも健在でした。

この八百屋さんは、3軒の隣り合う店を居抜きした新しい店のようで、箱やカゴがそのまま商品棚として並べていました。

水道筋商店街の北側に枝分かれしたような灘中央市場、関西風の個人経営の小売りの店が長屋のように連なった商店の集合体です。中は・・・結構シャッターが閉まっていました。

シャッターが閉まっている店が多い中、この鮮魚店は賑わっていました。

昭和時代には、彼方此方にあったミシンの専門店が、水道筋商店街では健全でした。店内はミシンと糸が処狭しと並んで、店頭には昭和時代のレトロなミシンが置いていました。

水道筋商店街の東側は、駅から遠くなって、人通りも疎らになります。たこ焼き屋さんとボタン・生地屋さんが隣り合って、その向こうはシャッターが閉まっていました。

水道筋商店街と枝分かれする畑原商店街は、シャッターが閉まっている店いが多く、中も薄暗かったです。

水道筋商店街の東の端、駅から遠くて、西の端に比べると、賑やかさがなく、アーケード街の幅も狭くなっていました。

灘温泉、昔ながらの銭湯だったのが、20年ぶりぐらいに来ると、スーパー銭湯のような感じにリニューアルされています。水道筋商店街の東の入り口から少し離れていますが、この辺りまでは商店が並んでいます。この東側は住宅地で、そしてすぐに都賀川となっています。

灘温泉の斜向かいになる串カツの船越、結構気に入っていましたが、もう20年近く入っていません。勤務校が移転した当初は時々来ていました。

昔ながらの写真屋さんがありました。なんとなくフィルム時代の面影を色濃く残して、店頭にあるのは、二眼のブローニーカメラや、メカ式のフィルムカメラばかりで、昭和時代にタイムスリップしたようです。

水道筋商店街の久し振りの探索を終えて、ドラマのロケ地ですが、この100円ショップは朝ドラ「おむすび」で登場していました。「おむすび」では阪神淡路大震災の後に、理髪店があった付近の再開発計画があったのが、この灘中央筋を想定していたように思います。店には「おむすび」のポスターが貼られていました。灘中央筋では他にも「おむすび」のポスターを見掛けました。

この寝具店もドラマで何度か写っていた記憶があります。

そして主人公・米田結の実家の理髪店と前後して、阪急電車の踏切が背景に写るようなシーンが何度かあったので、この辺りに理髪店「ヘアサロン ヨネダ」があったという想定だったと思います。

JR灘駅まで遠いなあ~と思っていると、ふと新駅が出来たことを思い出し、まっすぐ南下すると9年前に新設された摩耶駅にたどり着きました。
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ドラマ「おむすび」のロケ地巡り&水道筋商店街の探索に先立って、2年前の朝日放送系で放映されたドラマ「たとえあなたを忘れても」のロケ地も巡りました。ドラマでは神戸総合病院となっていますが、神鋼病院がロケ地でした。神戸製鋼の発祥の地です。

主人公の河野美璃が通院する病院のシーンで、何度か写った場所です。河野美璃の従兄弟が神戸総合病院の医師で、担当医という設定です。

病院の敷地内にある薬局が、青木空の幼馴染の薬剤師・藤川沙菜がここで働いているという設定でした。
以前の勤務校の近くにあった御影公会堂もロケ地で、河野美璃がそこでピアノレッスンをする、という想定で、何度か御影公会堂も写っていました。

阪急電車は、阪急神戸線が開業した1920年(大正9年)までは、西灘駅(現在の王子公園駅)から北上して上筒井に神戸駅を開設して、神戸市内に入ることが出来ず、上筒井から市内へは市電に乗り換えていました。当時の神戸市は、市内は地下化を要望して、阪神電車は岩屋駅から地下に入って、当時の神戸市境では地下で、そのまま三宮・元町までとなりましたが、阪急は神戸市の要望に応じず、結局は1936年(昭和11年)になって高架化で三宮へ向かうことになりました。この割塚辺りで、、JRの高架線と並行するために、坂のある街・神戸で、高低差のあるカーブとなって、異様に高い高架となっています。

割塚古墳は、豊臣秀吉が大坂城を築くのに、古墳の石室の巨石を運び去り、残石だけが打ち捨てられたと言い伝えがあり、また阪急の高架の場所だったので移転した経緯がある不運な古墳跡です。元々は城内歩道橋の南端ぐらいにあったようです。

神鋼病院の斜向かい、JRの高架に、モアイ像のようなものがあります。久し振りにレンズを向けました。

昨日・今日と、幾つかのJRの駅を利用して気付いたのですが、各駅1箇所の改札機がQRコード対応になっていました。これは垂水駅の構内です。

今日の就寝前までの1日の運動量は、運動消費カロリーが462kcal、エクササイズが29分、歩数が12,529歩でした。