決心

 私は、どうも「ぼんやり」しているようで、福音書を読んでも、イエスの言葉を聞いても、嬉しくなかったです。旧約聖書を読んで、やっと、新しい契約を「喜び」と受け入れることが出来ました。

「旧約を通って来なければ、新約に至ることはない」そのものでした。

 「見当違いのものを幸福と信じて探すこと」が、現実には多いと思いますが、破滅タイプとでも表現するような、幸せ、光などの「晴れがましいもの」を避けてしまうことも多いのように思います。罪故でしょうか。

 「神は光であって、暗いところがない」と云われても、なんだか自分と全く違うようで、おこがましくて、逃げ出したくなります。食べてはならないと云われた木の果実を食べた後のアダムとエバが主なる神の顔を避けて隠れたように・・・、

 あるプロテスタントの宣教師の方のゴキブリの話の説教テープを聞かせていただいたことがあります。(私の受洗のトリガーとなったもの。)その宣教師の方が、来日して借りた安い部屋にはゴキブリが棲みついていたそうで、夜帰宅してドアを開け、照明のスイッチを入れた瞬間に、光を嫌い、暗くてじめじめした所を好むゴキブリが、暗闇へと逃れるそうで、その様(さま)はぞっとする光景だ、という話です。

 その宣教師の思惑通り、私はゴキブリに自分の姿を重ねてました。そして、その宣教師の思惑通り、光へと向かうことの素晴らしさを考えさせられました。

 暗闇へと逃げるのではなく、光へと向かい喜ぶ。その違いは、ひょっとしたら「決心」なのかなあ、と思います。そして、それが信仰なのかもしれません。

 百舌(もず)
槻の梢に ひとつ時黙つてゐた 分別顔な百舌
曇り空を高だかと やがて斜めに川を超えた
紺屋の前の榛の木へ …… ああその
今の私に欲しいのは 小鳥の愛らしい 一つの決心

 私の好きな三好達治の小さな詩です。信じるっていうのは、こんな「決心」なのかもしれません。
 Oct7,1997

itsumi
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