みえみえの嘘

 見え見えの嘘をつかれて、嫌な思いをした経験は少なからずあります。そして、おそらく、私自身も、「見え見えの嘘」を何度も口にしたように思います。

 自分を守るため、余裕がなくて、咄嗟に・・・・、と、つい「嘘」が口から出てしまうのは、人間の罪故でしょうが、必死になって口にする見え見えの嘘って、後から考えると(語弊がありますが)可愛い場合も結構多いです。(決して、嘘を美化してるわけではないです。)

 後味が悪いのは、コテコテに練られた確信犯の嘘で、後になればなるほど、嫌な思いが大きくなります。

 一番嫌なのは、適当にあしらうように、嘘に嘘を重ねる「見え見えの嘘」かもしれません。最近問題になっている神奈川県警の報道対応は、これに近いものを私は感じてしまいました。

 その場を取り繕うだけの嘘、書いたものと違うので、言葉の「あや」で適当にごまかして、うやむやにして・・・・、ほんとうに嫌ですね。

ちょっと、余計なことを・・・・

 「嘘」と並ぶぐらいに「人間の義」が始末におえないなあ、と感じることがあります。

 「自分の正さ」ということが”いい加減”であるということを「神の義」の光の前で感じます。

 夏目漱石の「草枕」の冒頭の部分が頭をよぎりました。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 夏目漱石:「草枕」より
 Sep11,1999

itsumi
信仰を巡っての断片