死者のバプテスマ

キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。
 第一コリント 15:25~29

  「死者のゆえにバプテスマを受ける人たち」ⅠCol 15:29という聖書個所が、くだんの根拠でしょうが、これは伝統的なキリスト教でも議論が多い所です。逆に私は、モルモン教が、死者のバプテスマを公式の教義としているのをはじめて知りました。(もっとも、モルモン教については、ほとんど無知ですが)

 私が聞いたのは、病床で臨終に間に合わなかった牧師が、本人の明確な信仰が確認できる状況で、この第一コリント 15:29を根拠にバプテスマを授けてクリスチャンとして葬儀をした話です。

 もうひとつ別に、これは”又聞き”だったか、或いは何かで読んだのか、記憶が定かではないのですが、明確な本人の信仰は確認できなかったようですが、教会の礼拝にも良く出席し、教会員の方々との良き交わりもあって、その方がお亡くなりになった後に、牧師が「信仰があった」と”みなして”、バプテスマを授けて、クリスチャンとして葬儀をしたようなことを聞いたこともあります。

 この聖書個所は、その解釈がさまざまで、私自身もよくわかりません。

 本人が「信仰の何たるか」がわからぬままに授ける幼児洗礼と関連付けて、非クリスチャンの家族の為にバプテスマを授けた牧師(神父)がいた(或いは、いる)というようなことも聞いたことがあります。

 私はクリスチャンホームに育ったわけではないので、おそらく、お寺の過去帖とか寺籍とかに私の名前があるんでしょうね。教会に導かれることがなかったなら、私の信仰とは無関係に、その旦那寺(?)で、意味もよくわからないお経によって私の葬儀が行なわれ、戒名をつけられ、仏壇に位牌が置かれることになっていたことだと思います。本人の意志とは無関係に、強制的に仏教徒、です。(ひょっとしたら、今現在も、統計上は、私は仏教徒 かつ(AND) キリスト者 ?)
 

 クリスチャンでない両親のことを考えると、この第一コリント 15:29は私にとって重みのある聖書個所です。

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
 使徒16:31
 Oct27,1999

itsumi
信仰を巡っての断片