どうか、耐えてもらいたい。

2005年8月21日 護衛艦・やまゆき、神戸港・摩耶岸壁

 今日は令和5年度 防衛大学校卒業式がある日です。

 防衛大学校一期生に向けた言葉として、吉田茂の言葉が有名です。

 『君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、歓迎されたりすることなく自衛隊を終わるかも知れない。非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。

 しかし、自衛隊が国民から歓迎されチヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。

 言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ。


 この言葉は、1957年3月の防衛大学校第1回卒業式における吉田茂元内閣総理大臣の訓示として引用されることが多く、そのように思っていましたが、防衛大学校第1回卒業式の時は、卒業式には元総理大臣として来賓で参列はしていますが、防衛大学校にとって功労者ではありますが、総理大臣ではないので、そもそも卒業式で訓示をする立場ではなかったようです。

吉田茂元総理「防大生に与ふ」 、防衛大学校十年史

 「防大生に与ふ」と題する言葉を、その後に公式に残しています。

 「どうか、耐えてもらいたい。」という有名な吉田茂の言葉は、卒業式に先立って2月上旬の日曜に、吉田茂に招かれた防大一期生の3名が、大磯の邸宅の応接室での話の中で発せられた言葉だそうです。応接室では吉田茂が一方的に話をしていたようで、その間に何人も来客があったようで、何度か秘書が来客を知らせに部屋に来たそうですが「今、学生さんたちと話している。待たせておけ」と言ったそうで、来客者の中には総理大臣の鳩山一郎もいたという情報も、ネットで検索するとヒットしました。

 「言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」と学生に言った言葉、自分が尽力して開校した防衛大学校の卒業生に対して、活躍を期待して鼓舞するのではなくて、戦争や災害がなく、日本の平和と安全のために、日陰者として歓迎されることないことがない存在であることを願っている、という趣旨の言葉を掛けた・・・これが吉田茂の本心だったのかなあ~と、改めて吉田茂の言葉を読み返しています。

 残念ながら、被災地で自衛隊員が歓迎されたり、海外派遣で自衛隊が活躍する場面が近年見られます。吉田茂が防大一期生に語った「君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」ではない状況が、今の日本では続いています。
 

itsumi
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