母校跡

移転した母校跡を訪ねました。明石海峡大橋の建設に伴い、立ち退きの代替地となったこともあって、そして学術都市として学校等の教育機関を集中させる神戸研究学園都市の事業計画の一環として、現在は学園都市駅近くに移転しています。移転前の舞子台キャンパス時代に5年間通っていました。ここが正門前だった処のようです。

かつては正門があって、前庭があって、事務室や図書館、4,5年生のHR教室がある管理棟がありました。

傾斜地にキャンパスがあったので、構内には段差が幾つかありました。左手(東側)が管理棟で、右手(西側)が1年から3年のHR教室や一般科教員の研究室があった棟で、その間に段差がありました。

道路側から見た該当箇所です。管理棟の1階が、教室棟の2階と3階の間に渡り廊下があったようですが、記憶では曖昧です。渡り廊下は確か2箇所あったように思います。

元母校跡の敷地は、東部分が戸建ての住宅で、その西側は聖マリアの園幼稚園となっています。カトリック系のミッション幼稚園のようで、敷地内に修道会があり礼拝堂もありました。写真の左手(南の道路側)に実験棟があり、電気科の実験室はその中に多くあり、構内通路を挟んで右手(北側)には精密実験室があり、コンピューター室や視聴覚室がありました。おそらく坂の途中にあった通用門が幼稚園の入り口に該当しているようです。

上の写真ではあまり映り込んでいませんが、左手が実験棟、通路を挟んで右手が精密実験棟です。構内通路の先に体育館、グランドがありました。

さらに坂を下って西側に大きな段差があります。この段差の上が現在は聖マリアの園幼稚園で、道路を挟んで段差の下が運動場、テニスコート、プールがありました。今は市営住宅になっていました。

段差の上から見た、当時の神戸高専のグランド、テニスコート、プールです。段差の間には、確か当時の国鉄の塩屋駅で使われてた跨線橋を渡って校舎からグランドへ行っていました。

グランドから見た段差の上の体育館、実験棟、そして教室棟です。結構段差が大きかったのが、今もそのままのようです。

旧舞子台キャンパスのグランドの北東からグランド部分を眺めると、旧グランドに高層の市営住宅が建っている感じになっています。写真左手(東)は、段差になって、杜のようになっていました。

階段があったので、杜の中に入りました。旧舞子台キャンパスの北側だったのか、それともキャンパスの外の傾斜地だったのか、ちょっとわかりませんでした。特に公園でもなく、木々の中に階段があり、聖マリアの園幼稚園の北側に至りました。

当時の通学路、同じ様な光景です。