窪と谷

今朝は晴れて、放射冷却でヒンヤリして室温が20℃を下回っていました。半袖で朝の散歩に出掛けたのですが、少し肌寒い感じでした。住宅地の中の空き地の隅にケシの花が赤く咲き誇っていました。

今朝は歌敷山の台地から、舞子台1丁目の窪地に降りて、市道舞子駅高広線の高台に上り、苔谷公園の中を舞子台5丁目の窪地に降りて、そして独立峰のような舞子台6丁目の高台に上って、ダイエー舞子店の裏側に降りて、舞子のバス通り沿いを駅に向かって、途中で旧舞子ホテルのあった高台に上って苔谷公園の南端を通って、また舞子台1丁目の窪地に降りて歌敷山の台地に戻りました。

国土地理院のGSI Mapsにある陰影寄起伏図では右側(東)の台地となっている歌敷山から、南北の窪地となっている舞子台1丁目に降りて、神戸淡路鳴門自動車道がトンネルに入る辺りにある苔谷公園から舞子台5丁目の窪地に降りて、「+」のある高台に上って、薄っすらと南北にバス道が見える道路沿いを南に道沿いに歩いて、線路の高架の手前で、舞子駅の北側にある高台を上って苔谷公園というルートで、凹凸のあるルートを巡りました。
窪地の部分が舞子台1丁目と5丁目で「~~台」という住居表示になっていました。本来ならば「窪」や「谷」がつく小字だったかもしれませんが、住居表示では「~台」「~ケ丘」「~岡」が好まれるようで「窪」や「谷」は避ける傾向にあるように思います。
ただ東京では、結構、江戸時代からの古い地名が住居表示に使われて、「~谷」や「~窪」も残っています。思いついたのが麻布には狸穴(まみあな)という「穴」がつく地名まで残っています。麻布台と麻布永坂・六本木の狭間の窪地に麻布狸穴町の地名があり、狸穴坂があるところです。古今亭志ん生の十八番の落語「黄金餅」に出てくる麻布絶口釜無村の木蓮寺は、有栖川宮記念公園の東なので、麻布十番を挟んで南西となり、そこには絶口坂があって、渋谷川左岸の窪地です。
渋谷も「谷」が付く地名で、道玄坂と宮益坂に挟まれて地下鉄銀座線は宮益坂の途中から水平に線路が伸びて高架になっているので、終点の渋谷駅は3階か4階の高架駅ですし、井の頭線も渋谷駅は頭端式ホームの高架駅で道玄坂の途中でトンネルに入っています。北には渋谷公会堂やNHKへ行く公園通りの坂道もあって、窪地に渋谷川が流れて、山手線が走って、窪地の底のような場所がハチ公前のスクランブル交差点になっています。
荻窪も、善福寺川沿いの窪地で、南側には和田堀という地名があるような低地です。ただ東京の場合は荻窪も渋谷も、「窪」や「谷」がついてもイメージが悪いどころか反対で、麻布狸穴はロシア大使館が隣接する高級住宅地で、東京は事情が異なるようです。

歌敷山から舞子台1丁目の窪地へ、向こう側が高くなって、緑の上に神戸淡路鳴門自動車道の高架が見えます。

舞子台1丁目の窪地に降りて、振り返って歌敷山の台地方面を見返した光景です。

市道舞子駅高広線の高台に上って、スマートウォッチのマップの「2」辺り、苔谷公園は傾斜地にも広がっています。この公園の向こう側が舞子台5丁目の窪地です。

舞子台5丁目に降りて、正面に高台が見えました。この高台、気が付きませんでした。独立峰のように、孤立した高台で、高専時代の5年間通っていましたが、気が付きませんでした。この高台に上ることにしました。

東側からは道路がなく、階段を上りました。振り返ると、写真左側(北)が通ってきた苔谷公園です。舞子台5丁目の窪地には住宅やマンションがびっしりでした。

舞子台6丁目の高台を下りて、西側の舞子のバス通りから斜めると、こんもりと平地の中に小高く丘がポツンとある感じでした。

線路のアンダーパスを超えると駅になるのですが、線路の北側の高台に上りました。今はなくなってマンションの建設が進んでいますが、舞子ホテルがあった高台です。

高台から、明石海峡大橋を真正面に見ることが出来ました。

今朝は1時間10分の散歩で、5.36km歩いて、運動消費カロリーが343kcal、平均脈拍数が107bpmでした。

久し振りに体組織計で計測、連休前後ぐらいから、ちょっと食事量とアルコール量が増えて、運動もあまりしっかり出来ていないので、また戻っていました。

部位別の筋肉量はまあまあで、部位別の体脂肪率も低目、筋質点数は全部位で高目になっていました。体幹の筋肉スコアがマイナスなので、腹筋と背筋を強化した筋トレに励んで、筋肉貯金に励まないと・・・と久し振りの体組織計のデータと対峙して感じました。