足もとの歴史

 玄関先の小さなスペースの紫陽花が、わずかに花開くようになって、朝の水遣りの後にスマホで撮影、マクロレンズがあるので、マクロに切り替えると、かなり接近しないとピントが合わず、手振れを気にしながら撮った一枚です。花弁の中で淡いピンクの彩はじめたのもあって、春先にサプリメントのFe・鉄の錠剤を少し根元に置いた効果かもしれません。数年前までは真っ白な紫陽花でした。

 あと1週間もすれば、アジサイらしい花を楽しませてくれそうです。

 愛徳学園の、どうも小学部の児童の花壇か畑のようなスペースが校舎と道路を挟んだ元住居の敷地に出来て、青々としています。その青々とした花壇か畑越しに、昇ったばかりの朝日に照らされて輝く架け橋です。まだ愛徳学園周辺には朝陽は射し込んでいません。

 愛徳学園の西側にある急な坂道越しに眺めた明石海峡大橋です。このポジションからの明石海峡大橋が、ちょうど橋を渡る車も見えて、住宅の狭間からの眺めですが、お気に入りの「架け橋アングル」です。

 手元にある、神戸史学会編の「神戸の町名」という本があるのですが、そのサブタイトルが『まちの名前からたどる「足もとの歴史」』と銘打って、本の帯に書いています。

 東(写真の左)の歌敷山の丘陵と、西(写真の右)の苔谷という鳴門・淡路・神戸自動車が貫通している高台に挟まれた窪地が舞子台1丁目となり、「神戸の町名」で確認すると、この窪地は「下地(ゲジ)が谷」といいう小字だったようです。窪地で2つの池があったそうですが、今は住宅がびっしりで、どこに池があったかはわかりません。

  旧・下地が谷のもっとも低い部分に曲がりくねった細い道があるので、これが昔からの畦道ではないかと思います。かすかに架け橋の本州側の主塔が住宅の上に貌をのぞかせて、舞子駅前のタワーマンションの上部も見えます。

 此処は、昔ながらの畦道のような小径にそのまま家が建ったままで、車が通れないような道幅しかないです。この下は小川の流れが暗渠になっているかもしれません。

 まっすぐではない道があると、江戸時代からある畦道の名残ではないかと感じます。

 今朝の散歩は45分で3.4km歩いて歩数は4704歩、運動消費カロリーは209kcaiで、平均心拍数は101bpmでしたので、トレーニングモードの散歩というより朝の散策という感じでした。

itsumi
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