ポツダム会談 80年

世界史図録ヒストリカ(山川出版社)より

 ラジオから流れてくる「今日は何の日」を聞いていると、今日はポツダム会談が始まった日だそうで、イギリス、アメリカ、ソビエト(現ロシア)の3カ国の首脳が第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談で、既にヨーロッパではイタリアが前年の9月、ドイツが2か月前の5月にそれぞれ無条件降伏をしており、会談の主な目的はヨーロッパでの戦後処理だったようです。

 ポツダム会談は、これまでのイメージとして、イタリアとドイツが無条件降伏をした後で、残る日本に対して、対日降伏勧告のポツダム宣言が主要なテーマの会談だと思っていたのですが、ポツダム会談の成果はヨーロッパの戦後処理を取り決めたポツダム協定であって、ポツダム宣言は主要テーマではなかったです。

 Wikipediaでざっとポツダム会談の記事を目にしていたのですが、海外の記事と日本語の記事では大きく内容が乖離することがあるので、英語版で”Potsdam Conference”の項目を閲覧すると、ポツダム会談の目的として、

They gathered to decide how to administer Germany, which had agreed to an unconditional surrender nine weeks earlier. The goals of the conference also included establishing the postwar order, solving issues on the peace treaty, and countering the effects of the war. (Wikipedia)

「会議の目的は、9週間前に無条件降伏したドイツの統治方法を決定すること。会議の目標には、戦後秩序の確立、講和条約に関する問題の解決、戦争の影響への対処を含む」

 会議の目的には対日降伏勧告が入っていなかったです。

そして会議の成果であるポツダム協定の概要として、

Key final decisions included the following: Germany would be divided into the four occupation zones(among the three powers and France) that had been agreed to earlier; Germany’s eastern border was to be shifted west to the Oder–Neisse line; a Soviet-backed group was recognized as the legitimate government of Poland; and Vietnam was to be partitioned at the 16th parallel. The Soviets also reaffirmed their Yalta promise to promptly launch an invasion of Japanese-held areas. (Wikipedia)

「最終的な重要な決定としてドイツは、既に合意された4つの占領地域・3つの国とフランスに分割する。ドイツの東の国境は西のオーデル=ナイセ線まで変更される。ソ連が支援するグループがポーランドの正統な政府とする。ベトナムは北緯16度線で分割される。そしてソビエトはヤルタ会談で日本軍占領地域への侵攻を速やかに開始することの再確認」

 ポツダム協定にも対日降伏勧告は入っておらず、ソビエトへの対日侵略を促すような内容のみでした。

Wikipedia英語版では、ドイツ、オーストリア、ポーランド、イタリアの戦後処理に関する項目があり、更に戦後東欧のソビエト陣営になったルーマニア、ブルガリア、ハンガリーに関する項目があり、最後に添え書きのようにしてPotsdam Declaration(ポツダム宣言)の項目がありました。

In addition to the Potsdam Agreement, on 26 July, Churchill; Truman; and Chiang Kai-shek, Chairman of the Nationalist Government of China (the Soviet Union was not yet at war against Japan), issued the Potsdam Declaration, which outlined the terms of surrender for Japan during World War II in Asia.
(Wikipedia)

「ポツダム協定に加え、7月26日、チャーチル、トルーマン、そして中国国民政府主席の蒋介石(ソ連はまだ日本と戦争状態ではなかった)は、第二次世界大戦におけるアジアにおける日本の降伏条件を概説したポツダム宣言を発布した。」

Wikipedia英語版で、”Potsdam Conference”の項目では莫大な説明がある中で、ポツダム宣言に関しては僅か数行の説明でしかなかったです。もちろんWikipedia英語版にはPotsdam Declaration(ポツダム宣言)の項目が別にあり、内容も記載されています。ポツダム宣言の内容に関しては、英語版も日本語版も、目次は一緒で同じような分量でした。



 そして今日・7月17日に関しては、戦争にまつわることとして1956年(敗戦後11年、昭和31年)7月17日に発表された経済白書の序文の一節に、有名な「もはや戦後ではない」の言葉があり、戦後復興の終了を宣言したことを象徴するような言葉として、当時の流行語になったそうです。もちろんその陰には、朝鮮戦争の勃発があり、朝鮮特需という言葉があるように、朝鮮半島の混乱があるので、必ずしも喜ばしいこととは言えないと思うのですが、日本は復興から成長へと、その後の高度成長へつながることになります。

・・・ラジオから流れる「今日は何の日」を耳にして、Wikipediaで80年前に遡りました。




itsumi
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