夏の思い出

昨年までは、夜はエアコンのタイマーで真夜中まで冷房して、その後は目を覚ました時に、ベランダのドアを開けて風通しを良くしていましたが、今年は数日前からタイマーなしで朝までエアコンをつけて寝ています。枕元にステンレスの保冷ボトルで麦茶を入れて、目を覚ました時に口にしていますが、昨晩は500mlでは足りず、夜中に一階のキッチンまで麦茶を飲みに階段を降りました。1階のリビングの温度計は29℃、最低気温が25℃以上だと熱帯夜ですが、最低気温が30℃以上の場合をAIで質問すると、非公式ですが気象協会では「超熱帯夜」という名前があるそうで、昨夜はSuper Tropical Nightに迫る寝苦しさでした。
寝苦しい夜の思い出として、学生時代に家電メーカ・シャープの就職試験を受けるために、大学が新潟・長岡で、当時は東京支社が市ヶ谷の外堀沿いにあったので、試験会場は東京支社でした。前泊の宿舎が当時の新京成の上本郷駅にあった松戸寮だったのですが、41年前のことなので2人部屋でエアコンなし。新潟・長岡と違って8月の首都圏は寝苦しいを通り越して・・・、同じ部屋のもう一人は眠っていたようなので、こそっりと部屋を抜け出して、寮の食堂の自動販売機でジュースを買って飲み干した記憶が鮮明に残っています。
後になって知ったのですが、大阪本社での受験組は、奈良・天理の中央研究所に配属で、東京支社での受験組は、当時出来たばかりの千葉・柏の東京研究所に配属だったようで、関西の会社ということでシャープを希望したのが意味がなかったようです。でも長い目で見れば、かえって良かったかもしれません。
夏の思い出として学生時代は新潟・長岡からもっとも近い海岸が日本海側の石地海岸で、何度は海水浴へ行った記憶があります。群馬ナンバーの車が結構多く、群馬からだと神奈川の湘南海岸や千葉の内房や外房だと首都圏の渋滞に巻き込まれますし、ずっと新潟の海岸の方が近いようです。
32年前、梅雨明けがなく、夏の間はほぼ空がどんよりした雲で覆われた冷夏だったことも印象に残っています。秋頃からコメ不足となって、スーパーにオーストラリア米やタイ米の1kgや2kgの小さな袋が並んでいたのが、冬になるとオーストラリア米が姿を消して、インディカ米のタイ米だけになってしまって、テレビでは「美味しいタイ米の食べ方」のような特集があったように思います。9月に入って残暑が厳しく、そして年明けの2月や3月には毎週のように首都圏で雪が降り、日陰には雪が残ったままで次の雪が降っていたような感じでした。
31年前の春に埼玉から神戸に越して、まだスーパーではタイ米しかなかったような記憶があります。31年前の夏は逆に暑くて水不足で、プールの中止や、店舗では冷やし中華やざる蕎麦のメニューが自粛になった記憶があります。そして翌年の1月に阪神・淡路大震災・・・
コロナ禍までは夏休みに車で彼方此方出掛けて、ロードバイクを積んで、いろいろな処でサイクリングを楽しんでいましたが、コロナ禍以降は遠ざかっています。昨年は猛暑、そして今年は昨年以上に猛暑で、あまり夏になってから自転車で走っていません。

とにかく暑いのでシャワーを浴びて夕食の時にビールを飲んでいたのですが、連日アルコールを飲むのは、生活習慣病で通院&服薬している身として健康に良くないように思い、何となく退廃的な生活を送っているようなので、ラ・ムーという格安スーパーでノンアルコールのビールテイスト飲料(ノンアルコールビール)を10本買ってきました。

暑い夏にはグループサウンズ・・・20年ぐらい前に買ったグループサウンズ全集という3枚組のCDを聴いています。GSが流行したのが1960年代の後半なので、ほぼ60年前のサウンド、今の感覚とは違った曲調を聴くと、なんとなく気怠い感じがします。

Amazonので注文したモノが知らないうちに届いていました。昨日の夕方に注文して、特にプライム会員でもないのですが翌日である今日の午前中に置き配されていました。今は呼び鈴を押さず、置き配をして配達した写真を送って終わりのようです。