万葉歌碑の道

 いつものサイクリングは、舞子公園から国道2号線を西へ、播磨灘沿いを明石や播磨町に向かうのですが、今日は垂水漁港から国道2号線を東へ、塩屋方面に向かいました。垂水漁港に停泊している漁船に、昇ったばかりの朝陽が射し込んで赤く染まっていました。

 福田川の左岸(東側)は、東垂水・滝の茶屋あたりまで埋め立てられ、海岸線が百数十m沖(南)に張り出しています。埋め立てられる前は国道2号線の南がすぐに岸壁のようになってテトラポットが並んでいました。今は国道2号線のすぐ南側は鬱蒼とした杜のようにな幅が20~30mの緩衝地帯となって、「万葉歌碑の道」という遊歩道になっています。

 万葉歌碑の道の両脇は雑木林になって、蝉時雨の真っただ中をサイクリングする感じで、1kmぐらい続いています。ちょうど杜の中に朝陽が射し込んできました。

 両脇に歌碑が並んでいます。

 埋立地の向こう側は塩屋港、そして塩屋の街があって、その東には鉢伏山のなだらかな稜線が海まで続いています。鉢伏山は国境の山で、手前側(西側)が西国・播磨国、そして山の向こう側が五畿内・摂津国で、神戸の市街地となります。戦時体制の1941年(昭和16年)に神戸に編入されるまでは、鉢伏山の手前側(西側)は明石郡垂水町でした。

 国道2号線を東に向かって、塩屋の街の手前に一か所、ガード下の道路があります。福田川から、このガード下の道路までは、国道2号線からJR神戸線の複々線と山陽電車を越える車道が2kmぐらいはないです。滝の茶屋の住宅地から国道2号線へ出るには、此処を通るのが近いですが、とにかく道幅が狭く離合困難で、交互通行となり、時々渋滞しています。

 塩屋と滝の茶屋の間にはジェームス山と呼ばれる地域があり、その一角が外国人住宅の私有地で、部外者は侵入できません。子どもの頃は夏には蝉を捕まえに閑静な外国人住宅地の中に入って、住宅の庭に入り込むと外国人に怒鳴られた記憶があります。昔は近隣の住民との交流もあったそうで、共同でお祭りをしていたようですが、今は隔離された空間です。ただ私有地に入ってすぐに不動明王が祀られて、そこまでは暗黙の了解で入っても良いようです。

 外国人住宅の西、子どもの頃に通っていた小学校の東に関西聖書神学校があります。プロテスタントの神学校で、戦前からあるのですが、建物も新しくなりました。子どもの頃は辺り一帯が開発されずに杜の中の鬱蒼とした場所に古い建物があったので近寄りがたい厳正な場所という雰囲気でしたが、今は周囲は造成されて真新しい住宅地の中に、校舎も新しくなっています。

 ジェームス山一帯を開発して、外国人向けの住宅をつくったジェームスさんの住宅跡、今はレストラン&結婚式場の「ジェームス邸」になっています。

 子どもの頃に通っていた小学校の写真を撮ろうとしたのですが、ラジオ体操の時間前で、次々子どもたちが校庭に来て保護者が校門前で黄色い旗を持っていたので、写真を撮っていると怪しげで盗撮のようなので遠くから1枚だけ撮りました。

 小学生の頃、音楽室の窓から眺めていた海峡景色です。その頃は架け橋はありませんでしたし、ビルやマンションも多くはなかったように思います。

 このプレハブで建て増したような部分は、子どもの頃はタコ焼き焼き屋さんでした。タコ焼きが1個5円で、おやつに6個ぐらいで30円、中で食べていました。昭和ノスタルジーの古い記憶・・・

 子どもの頃からあった、滝の茶屋から垂水の街へ行く近道の階段、奈落の底へ続くような感じです。今は「山手ふれあい階段」という名前がついています。階段の両脇に住宅がびっしり建って、まさに坂の街です。

 今日は、サイクリングで「走る」というよりも「ポタリング」という自転車の散策のような感じで1時間25分で9.87kmしか走っておらず、運動消費カロリーも438kcalで、平均心拍数も109bpmで、ほぼ有酸素運動のサイクリングでした。でも朝の陽射しは強く、帰宅すると汗まみれで、すぐにシャワーを浴びて、エアコンの真下で身体を冷やしました。

itsumi
blog(つれづれに)